か
金堀攻め(かなほりせめ)
敵側の防御構造物の地下へトンネルを掘り進み、そこで支柱に放火して自重により崩壊させるか、または火薬・爆薬の使用によってそれを破壊する戦術
河内源氏(かわちげんじ)
河内国(現在の大阪府の一部)に根拠地を置いた清和源氏の一流。一般的に武士で「源氏」という場合、この系統を指す。
清和源氏の武士団を摂津国川辺郡多田(兵庫県川西市多田)に最初に形成した源満仲の三男の源頼信を祖とする。頼信の長兄は摂津源氏の祖の源頼光であり次兄は大和源氏の祖の源頼親である。
関白(かんぱく)
前近代の日本の朝廷において、成人の天皇を補佐する官職。令外官であり、摂政とともに臣下が就きうる最高の職位であった。敬称は殿下。
関白は太政官からの意見を天皇に奏上する権限を持った役職であり、平安時代の朝廷において藤原基経が天皇から執政に任命されたことを始まりとする。当初は臨時の職であったがやがて常置されるようになり、天皇の外積となった藤原氏の一族が、天皇の幼少期には摂政、成長後には関白の地位について、朝廷の政治を支配した。この摂関が中心となった体制を摂関政治、その最盛期を摂関時代と呼ぶ。院政の開始以降、その権限は制限され、外戚がなることも稀となり、摂家と呼ばれる数家が交代で世襲していくようになった。武家政権の成立後は、影響力を低下させたとはいえ、朝廷の最高官としての権威と一定の政治力を保持していた。
安土桃山時代には豊臣政権で藤原氏の養子となった豊臣秀吉らが関白職についたが、秀吉の没後にはふたたび摂家がつくようになった。
江戸時代は江戸幕府の統制下に置かれつつも、朝廷政治の中枢としての役割を担った。
き
紀伊根来寺(きいねごろじ)
大治元年(1126年)に覚鑁上人(かくばん)が石手荘を寄進され、大治5年(1130年)に高野山に伝法院を建てたことに始まる。 戦国時代には根来衆と呼ばれる僧兵集団を持ち、雑賀衆とともに石山本願寺の要請を受け、たびたび織田軍と戦った。
天正13年(1585年)羽柴秀吉により焼き打ちにあい、根来寺は壊滅的な打撃を受けたが、徳川家康の時代になると紀伊国徳川氏の庇護のもと復興された。
く
国地頭(くにじとう)
鎌倉幕府草創期に国ごとにおかれたとされる地頭。1185年(文治元)末,源頼朝が源義経・同行家の追捕(ついぶ)を目的に,その設置を朝廷に要求し認められたもの。その国の荘園・公領を問わず,段別5升の兵粮米を徴収する権利をもち,同時に賦課の対象となる田地に対して検注権を含む支配権を行使した。紀伊を含む7カ国の北条時政,播磨・美作両国の梶原景時,備前・備中・備後諸国の土肥実平・同遠平,伊賀国の大内惟義,九州諸国の天野遠景などが国地頭に推定されている。しかし時政が86年3月に辞退するなど,国地頭制は早く衰退し,その実態については不明な点が多い。近年,国地頭の存在そのものを否定する見解もでている。
公文所(くもんじょ)
1平安時代、諸国の刻画で公文書を扱った役所。
2 平安時代、院・摂関家・寺院・荘園などで、主に所領・年貢の事務を執った所。
3鎌倉時代、幕府の政務を扱った役所。のち、政所の一部局となり、文書のみを取り扱った。
蔵人(くろうど)・蔵人頭(くろうどのとう)
平安初期に設置された令外官 (りようげのかん) の一つ
本来皇室の用具や文書を預かる役人。
810年薬子の変に際し蔵人頭が置かれ重要な官職となった。天皇に近侍し、機密文書の保管、詔勅・奏上の取り次ぎ、宮中の諸儀式などを行う。平安後期には、院・摂関家・大臣家にも置かれた。
蔵人頭:別当の次に位する蔵人所の官職。定員2名で、一人は弁官から、一人は近衛府の官人から
採用され、頭弁
、頭中将
と称した。
け
検非違使(けびいし)
平安初期に設置された令外の官の一つ。初め京都の犯罪・風俗の取り締まりなど警察業務を担当。のち訴訟・裁判をも扱い、強大な権力を持った。平安後期には諸国にも置かれたが、武士が勢力を持つようになって衰退した。
仮名(けみょう)
元服のときに烏帽子親のつけてもらう呼び名。通称。俗称。
こ
高札(こうさつ/たかふだ)
御高札(高札)は、古代から明治初期にかけて、法令や基本法を木製の板に墨書きし、往来や市街の目立つ場所に掲示して民衆に知らせる手段です。特定の相手や事柄を対象とした法令掲示は制札と呼ばれましたが、実際には高札に含まれることが多かったとされています。起源は延暦元年(782年)の太政官符に遡り、鎌倉・室町時代の武家政権でも使用され、江戸幕府が全国的に制度化しました。
腰越状(こしごえじょう)
文治元年(1185)平家討滅後、源義経が兄頼朝の命に反したという理由で鎌倉に入ることを許されず、無実を訴えて腰越から大江広元あてに、頼朝へのとりなしを依頼して出したという書状。
御家人(ごけにん)
① 平安時代、貴族や高位の武士に隷属していた者。家の子。郎党。
② 中世、鎌倉幕府の将軍と直接主従関係を結んだ家臣。将軍に忠誠義務を尽くす代償として、
所領安堵や新恩の給与などの保護をうけた。また、鎌倉殿御家人、関東御家人などと呼ばれて、
非御家人とは厳重に差別されていた。
③ 江戸初期、大名以外の将軍直属の一万石以下の家臣の称。のちに、旗本と御家人に区別される
ようになる。直参(じきさん)。
④ 江戸中期以降の将軍直臣のうち、御目見(おめみえ)以下の武士。旗本より身分が低く、直接将軍に
謁見する資格をもたない小祿の者。
近衛の中将(このえのちゅうじょう)
近衛府の次官。左右各一人。従四位下相当。ただし三位で兼ねるものが多く、参議でこれを兼任するのが常例。
小者(こもの)
中世、近世に、武家に仕えて雑役に従事し、戦場では主人の馬先を駆走した軽輩のもの。
室町時代には中間(ちゅうげん)より身分が低く、将軍出行のときは数名が随従し、草履(ぞうり)持ちなどをつとめた。
江戸時代の小者は小人ともいい、幕府お抱えの小者はおもに使い走りや荷物の運搬にあたった
権大納言(ごんだいなごん)
大納言の権官。定員外の大納言。
権中納言(ごんのちゅうなごん)
中大納言の権官。定員外の中納言。権黄門。
